子育てを家庭に任せてはおけない!~問題は、闘争と生殖の場の分断!?

「家庭は教育機能を失った」と言われれば、皆さんどう捉えるでしょうか?

 

昔は、親の言うことは絶対で、子は親の言うことを聞くものだという規範がありました。そうでないと生きてゆけないという貧困の圧力(≒生存圧力)があったからです。それが外圧として集団全体(家庭・学校・企業・国家)に圧し掛かっていました。生物や集団はそういった外圧によって統合され、外圧に適応するための内圧(行動や規範など)を構成しています。

 

70年代以降、この貧困の克服により外圧が弱まり、外圧に変化が生じたにもかかわらず変われない集団に対して、形骸化した規範だけが強制圧力として残り、集団を維持するための理不尽な態度や言葉としてのみ発せられています。それら集団(家庭・学校・企業・国家)の崩壊現象があらゆる場面で報道されています。

 

ここからは、家庭に焦点を当てて追求していきます。
①なぜ「闘争と生殖の分断」が問題なのか、少し具体的に
②「闘争と生殖の分断」はなぜ起こったか、歴史をさかのぼって原因を追求していきます。

 

■「闘争と生殖の分断」がなぜ問題なのか?

全ての生物集団は、闘争過程と生殖過程を包摂した全的な集団として存在しており、全ての生物はその中で進化してきた。もちろん人類も、原始時代からずっとそれを踏襲し、闘争と生殖を包摂した全的な集団の中で、今日の人類に進化してきたのである。
原始時代だけでなく農業生産の時代もそうであって、例えば農家は、今日の家庭の様な単なる生殖と消費だけの場ではなく、それ自体が一個の生産体であり、従ってそこには、自然圧力をはじめ様々な闘争圧力が働いていた。
だから子供たちは、働いている両親の背中を見ているだけで(学校など無くても)、健全に育っていったのである。

 

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では、闘争と生殖の分離がどのように問題なのか具体的に見ていきましょう。
●本来人類の共同体では、日常的に、外圧に対応した教育が行われる

 

一般生物の集団や、人類の村落共同体は、闘争・生産と生殖・消費の場が一体で、外圧=生産圧力が日常的にかかっている。だから、自ずとそれに対応する方法や手段を成員や子供たちが獲得できるよう教育(という概念は正しくないかもしれないが)が日常的に行われます。

 

以下は、全人教育って、なに?-3 @村落共同体の教育、より引用です。

これは農作業などの仕事を通じて次第に身につけていくもで、もっぱら家において両親、家族から学ぶ教育です。
仕事についての訓練はおおよそ10歳くらいから始まったようです。農家での子どもの仕事はまず荷物の運搬から始まり、次第に草刈り、草取り、たきぎとり、麦踏み、くれ打ちなどの仕事が任されるようになります。また、家では、ぞうりつくり、なわない、米麦つき、家畜の世話などがあり、女の子ならば子守や炊事の手伝いをしました。そして、これらの作業の「コツを覚える」「コツを呑み込む」ことが出来れば「一人前」とされました。
農耕でいえば、田をうちおこして畝たてができ、肥桶をかつぎ、牛馬をつかうことがきれば「一人前」。女ならば、糸つむぎ、機織ができるようになり、着物が縫えるよになれば「一人前」といわれたようです。

 

1人前になる=生産力になることが成員の1つの重要な目標となっており、日々普通に暮らしていけば自ずとそのような教育を受けていくことになる。それは、村落共同体には外圧=生産課題がかかっているからですね。現代の密室家庭は、この当然の条件を欠いているのでまともに社会を担える子供が育ちにくい。
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●外圧⇒生産課題・集団課題を通して、多様な協働関係→関係能力、同化能力、規範を獲得する。

 

外圧の働かない現代の家庭では、ややもすると母親が子供を囲い込むことになりがちで、健全な関係能力、同化能力、規範が身につきにくい。元来、外圧、生産課題、集団課題があればそれを通じて子供は、多様な協働関係から、それらを自然と獲得するはずです。

 

新歴史士道館「地域の教育組織」より

たとえば「子供組」は、普段は遊び仲間と変わらないが、年中行事や祭礼の際には特定の役割を果たした。最年長の指揮によって行動し、厳しい上下関係や一定の掟の中で指導・教育され、掟を破れば仲間はずしなどの制裁もあった。(中略)若者組は、地域における祭礼や芸能・消防・警備・災害救助・性教育・婚礼関係などに深くかかわり、その責任も裁量も大きなものだった。いったん若者組に加入すれば内部事情は一切口出ししない決まりで、周囲の大人たちも口出しすることは無かった。

 

るいネット「親と子」より

外圧を前にして、生産を第一課題として統合されていた共同体内では、成員それぞれに役割・課題も与えられ、オヤとコの関係は解脱・闘争など多重の紐帯で結びついていて、濃密であったと思われます。オヤに対するコの信頼感も今の親と子の関係よりもはるかに高かったに違いありません。また、数十人といった規模の共同体では、成員どうしお互いの関係も多重であり、現在の親子関係よりもはるかに人としての充足感(共認回路の充足)も大きかったに違いありません。

 

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●闘争圧力の働かない家庭の「主婦」は無能化、消費存在化。子供への影響が甚大。

 

そして、次に、子供の精神構造に圧倒的な影響力をもつ母親が、闘争と生殖の分離でどうなったか。1970年豊かさの実現以降、家庭は無圧力空間ゆえ母親は消費存在化、要求存在と化し、子供の心も染めあげていくことになります。

 

るいネット「専業主婦」という身分からの解放

闘争の場から切り離された家庭という密室空間に置かれた妻達。、、、、(中略)、、、、高度成長に伴って、次々に売り出される家電製品によって、女達にとっての家事は格段に楽になり、有り余る余暇を生み出しました。そんな中で、社会(ソト)から切り離された密室家庭で、家事、子育てを専業にしている「専業主婦」という身分。また一方では、家計を切り盛りし一歩ソトへ出れば、生産には何ら関わらず、ただ消費するだけの「消費存在」になっていく訳です。、、、、、(中略)、、、、、、
この時代の結婚願望の女達には、この「専業主婦」の身分を、「三食昼寝付き」、挙句の果ては、「カー付き、家付き、ババ抜き(姑との同居を拒むこと)」を望み、結婚という制度で手に入れた「妻の座」は、生涯に渡っての生活保障と有閑な身分をもたらしてくれるものでした。
こうして、「専業主婦」という、社会から隔絶された密室家庭の中で、闘争課題からも遠く、ひたすら家内的な役割としての固定的な存在が生まれたのです

 

このように、闘争と生殖の分離は母親を「消費特権階級」としてしまった。そこは様々な権利欲求、社会に跋扈する権利主張の温床とさえなった。そのような「権利意識」に染まった母親の子供は当然そのように洗脳されてしまう。

 

さらに最近では、鬱に成る主婦も続出している。外圧から切り離されて、課題や周りからの評価を得られない状況は閉塞感を与えるものです。加えて1人では負担の大きすぎる子育てや頭に巣食う旧観念・旧規範があいまって鬱になる主婦が続出している。これも当然、子供の心に大きな悪影響を及ぼす。闘争と生殖の分断の重大な帰結である。
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●家庭に残された課題は、きわめて一面的な能力しか要求しない「受験勉強」

 

また、外圧から隔離された家庭では、受験勉強だけが子供に唯一残された「課題」である。私権が衰弱した現在、役に立たないだけでなく、(ペーパー)試験制度は本質的に極めて一面的な暗記能力しか要求しないため、人の成長を阻害する。結果、無能エリートが跋扈する世の中に成っている。
これも、本来の闘争圧力がかからないため、本当に必要な教育がなされず古い価値観に従って受験勉強させているわけで、これも家庭が生殖・消費空間になってしまった結果ですね。
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★以上まだまだ上げればきりがないと思いますが、闘争・生産と生殖・消費の場が分断していることは、後者に全く外圧がかからないこと意味し、これらのような様々な問題を引き起こすのですね。

 

■なぜ、闘争と生殖の場が分断されたのか
では、次になぜ闘争と生殖の分離が起きたのか見て行きます。原因をはっきりさせるにも、今後の可能性をつかむにも歴史をさかのぼって考えることが不可欠ですね。

 

●賃金労働者、労働力を切売りする存在(サラリーマン)の登場

 

賃金労働者(サラリーマン)は「労働力」だけを切売りして提供する。職場で働き、生殖・消費過程は家に帰ってする。今となっては当たり前の現代人の生活だが、もとは集団は自分たちのために働き、成果は自分たちで分け合うのが当然だった。

 

お金と交換で自分たちの闘争過程を他人に提供することで様々な弊害が出てきました。
①闘争過程が自分たちで作る充足過程でなく、他人のいいように使われる過程になってしまう。使うものと使われるものという支配、被支配の関係の下に置かれてしまう。
②お金が全てという価値観に引きずりこまれる。
③共同体から切り離されたバラバラの個人という存在に転落してしまう。
★そして、今回テーマになっている、闘争圧力が生殖過程に働かなくなるという問題です。

 

「賃金労働者」への転落は実は非常に大きな転換だったのですね。一般庶民にとって、「市場社会」の負の部分の影響を受け始めたのは、これが始まりだったといっても過言でなさそうです。では、「賃金労働者の登場→闘争過程・生殖過程の分離」はなぜおこったのか。歴史構造を押えてみます。
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●賃金労働者(サラリーマン)が登場するまでの市場の歴史

 

・主に西欧で中世後半に市場拡大が再度始まる(武力闘争から市場拡大へ)
・植民地獲得競争(ポルトガル・スペイン→オランダ・イギリス)=労働力(奴隷)、資源の掠奪。
・18C金貸しの中央銀行制度(イングランド銀行)以降、イギリスは軍事的優位、世界支配へ、一方、産業へ投資で産業革命→本格市場拡大へ、。

 

・重要なのは、賃金労働者は自然に現れたのでなく、金貸し主導で仕組まれた「市場拡大」の戦略として生まれたこと。紙幣制度が大きな設備投資を可能にし、大量の労働者を組み込んだ新しい市場拡大戦略が登場したということですね。
・もちろん、大衆の側も(付け込まれたといえ)積極的に、都市の幻想、快美欠乏へとはまっていったことは問題では」ありました。もとより、都市は村落共同体にはない快美幻想、豊かな生活の幻想がありましたが、産業革命以降より物質にあふれその幻想度を増していったと思われます。そこで、賃金労働者になるという、幻想実現の道が開かれたことで、農村から都市への人口の大移動が始まり現代に至ります。(日本でも、明治以降、特に戦後。)

 

以上が、市場拡大から、賃金労働者の登場=生産と生殖の分離へのおおまかな歴史です。

 

 

ここで分ることは、市場拡大という歴史の半ば必然的な構造である一方で、いまや市場自体限界を向かえ縮小に転じ、また、大衆の側もかつて都市へ向かって大移動した時のような私権欠乏・快美欠乏は大きく衰退していることを見れば、この闘争と生殖の分離を是正する基盤や意識の変化は、あると展望できますね。