子どもの活力衰弱問題、突破口は既存集団の再生にある!

子どもの活力衰弱の原因は、学校だけでなく子育ての根本にある「家庭」にも原因がある。
今、親からの子どもへの管理・監視が「異常な付きまといや支配」になっているにもかかわらず、それが当たり前になって“やばい”の判断がついていない。
その原因は、核家族ゆえの「子育て不安」からきているだけでは説明しきれず、子育て不安のさらに奥に大きな変化が起きていると思われる。それは何か?

Q.家庭は時代とともにどのように変化してきたか?

◎戦前:多くが村落に暮らす大家族
昔は家業があり、家庭といえども生産体(農家)であり、生産と生殖を包摂する場で、生産という共通課題があった。
集団は「生産」と「生殖」の両機能があって、はじめて集団として真っ当に機能する。家庭という集団も同じ。

◎'50~:農村から都市へ →'55~:高度経済成長
市場が拡大していくなか、都市を中心に核家族化していく(→サラリーマン家庭)。それに伴い、家庭に生産機能が失われ、生殖機能のみの片肺機能の場になる。
★しかし、まだ貧困下では意識は豊かさ実現に向かい、そのための私権(お金・身分)の獲得(拡大)という目標軸、共通課題が家庭にはあり、それで統合できた。

◎'70~:貧困の消滅 →'85~:バブル →'90:バブル崩壊
私権獲得の目的は、豊かな実現(いい生活したい・ラクして生きたい)→「遊び(遊興と性)」のため。
それゆえ、高度経済成長で私権獲得の可能性が大衆的に広がると、性・遊びが肥大していく。(ex.ダンスパーティー、映画、etc)
豊かさを実現すると、家庭を繋ぎとめる結束軸は、私権獲得の目的であった豊かな生活から「遊び(遊興、レジャー)」に移行する。(それでしか家庭を繋ぎ止められない)
→スキー、ボーリング、家族旅行、クリスマスなどの家族団欒、etc。
→家電、車、レジャーを謳歌することがステータスとなる豊かさ自慢。
そして、バブルに突入していくと、娯楽・遊び(遊興と性)への意識は際限なく肥大化する。
→ディスコ、合コン、カラオケ、海外旅行、誕生日/クリスマスパーティー…、etc。
しかし、バブル崩壊で大企業・金融系が倒産していくと、私権価値が崩壊し、私権獲得の根底(目的)だった遊び(遊興と性)は一気に衰弱し、贅沢・消費も衰弱し市場も縮小する。

Q.親の子どもに対する付きまとい・支配が強まりだしたのは、2010年以降くらい(=当時30代前半の親)からだが、彼らが20歳前後(=2000年前後)に何が起こったか?

◎'00~ :収束不全 →遊びの終焉
2000年頃、遊び(遊興収束)も終焉を迎える。それに伴い、私権の引力に次いで遊び(発散課程)も引力を喪われた。
→性の衰弱=セックレスが蔓延し始めるのもこの頃。
→テーマパークのピークは、2001年。以降、倒産続きで半減
人々は目的を失い“何のために勉強するのかわからない”“やりたいことがない”など「収束不全」に陥り、急激に「活力が衰弱」していく。
そして、大人も子どもも“とりあえず目先のことだけ”と表層的に「課題収束」していく。
→学生は授業とバイトに明け暮れ始め、合コン、飲み会も急減
→自分磨き、自分探し/大学ほぼ出席、スケジュールつめこみ…

◎'10~ :収束軸・統合軸を失った結果、国も企業も学校も家庭も、強制・管理を強めてゆく。
遊びの終焉で、闘争過程の引力も発散(解脱)過程の引力もなくなった以上、家庭は、子育てを核とするしかなくなるが、もはや子どもを惹きつける(繋ぎ止める)引力は残っていない
家庭から離脱しようとする子どもを無理やり繋ぎ止めるためには、強制的な囲い込みしかない。
これが子どもに対する支配・干渉が急速に強まってきた基底要因。

この背後には「あらゆる既成の人間関係が無意味化・無価値化」し、集団崩壊の危機感
子育て不安のもっと奥には、『家庭=生殖集団の崩壊不安』『(女としての)存在不安』がある。これは充足型であれ、不安型であれ家族を取り巻く普遍的構造。
それは、次の結集軸が見えない『集団崩壊危機→関係喪失不安』(繋ぎとめるものがないので、付きまとう・すがりつく・囲い込む)から生じている。

Q.どうする?
人間関係の原点は集団。集団があれば人間関係が喪失することもない。⇒突破口は集団の再生にある
殖産分離の空間では子育ては原理的に不能。生物史上そのような集団は存在しない。⇒自然の摂理に学ぶ

Q.どこまで歴史を遡り、実現基盤となる集団原理の追求が必要か?
過去3000年間の私権時代につくられた集団が悉く無価値化した以上、少なくとも「私権時代以前の集団」にまで遡って解明してゆく必要がある。
更には、人間関係の基である共認機能を獲得した「サル時代の集団」にまでも遡る必要がある。
更には、子育てが始まった(=胎内保育となった)「哺乳類の集団」にまでも遡る必要がある。